2020年4月16日(木)
朝 の 説 教
- 多くの病人を癒す -
『マルコによる福音書』1:29~34
今日の聖書から私は、イエス様というお方は何て愛の深い、優しいお方なんだろうと、3つのことをお話したいと思います。
第一は、昨日の聖書の病気の癒しも、今日の聖書の病気の癒しも、共に「安息日」の出来事だということです。1年生は初めてなので説明しますが、安息日とは週の最後の日・土曜日です。聖書によれば、神様はこの宇宙を日曜日から金曜日までの6日間で創造し、「素晴らしい出来ばえだ!」と満足されて、7日目の土曜日は完全休養をされました。それを起源として、ユダヤ人には安息日を厳格に守る習慣が始まりました。旧約聖書にこうあります。「安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。6日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、7日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中にいる寄留の外国人も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる」。
今から数千年前に最も弱い奴隷や家畜にまで週に一度の休みを保証するという素晴らしい神様の愛の規定です。でも当時の指導者たちは安息日には病気を治す行為さえ禁じられていると考えました。でも愛のお方であるイエス様は、敢えて安息日規定を破って病気の人を癒し続けたのです。これが原因でイエス様は捕らえられて殺されることになります。命がけのことだったのです。イエス様は何という愛の深い優しいお方なのかと私は感動します。
漢字で「優しい」の優は、〈憂えている人の傍らに人が立つ〉と書きます。イエス様は悲しんでいる人・苦しんでいる人の傍らに立って下さる本当に優しい愛のお方です。
第二は、家出をしたペテロとアンデレを、そっと家族の元に戻してあげた優しさです。ガリラヤ湖で魚をとっていた時、突然イエス様から「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と声をかけられた兄弟は、「すぐに網を捨てて従った」のでした。出家したのです。もう家には戻らないし戻れないのです。何しろ、親にも妻にも一言の相談も謝りもなく出て行ったからです。全てを知っているイエス様は、「日も暮れてきた。疲れた。ペテロ、今夜はあなたの家に泊めてもらいたいな-」と言ったのです。何という愛の配慮でしょうか!
久方ぶりに家族に再会できたペテロとアンデレでした。家に帰ってみると、しゅうとめが高熱を出して寝ていました。イエス様はすぐ傍に行き、手を取り、彼女の病を癒されました。元気なったしゅうとめは、早速「一同をもてなした」のです。ここを原典のギリシャ語で読むと、「もてなす」という動詞が「未完了過去形」になっています。お礼に一回もてなして終わったのではないのです。それからも機会あるごとにずっとイエス様一行をもてなしたことが分かります。
何と素晴らしい愛の交流でしょうか!しゅうとめも又、イエス様の弟子になったことでしょう。
第三は、ここに登場してこないペテロの妻のことです。彼女は狭い家の中に一緒にいて、イエス様の為さることや表情を見つめていた筈です。そして自分の母親の病気をイエス様に治して頂き、どんなに嬉しく喜んだことでしょう。でもそれで終わりではありません。聖書の別の所にパウロが「ケファ(ペテロ)のように、信者である妻を連れて歩く」(『Ⅰコリント』9:5)と書いています。ペテロの妻は夫と同じくイエス様を信じる者に変えられ、夫と一緒にイエス様のことを伝える働きをしていたのです。きっと今日の聖書の出来事を通して、彼女はイエス様をキリストと信じ、「このお方に従って生きてゆこう」と決心したのです。
このようにイエス様はペテロだけでなく、その愛と優しさによってペテロの妻も、その母も信仰者に変えられたのです。愛と優しさの為せる業だと感嘆するばかりであります。