新井秀校長説教集83~週末の徴~

校長

2022年12 月14日(水)

朝 の 説 教

- 終 末 の 徴 -    『ルカ』21:7~19

今日の聖書は、人々がエルサレム神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを褒め称えたこと対するイエス様の言葉です。歴史学者ヨセフスは『ユダヤ戦記』の中で、「エルサレム神殿の正面は人々の心を奪い、目を見張らせるに十分だった。外側のすべてが重厚な金の板で覆われていたからである。朝日が昇るとそれはまばゆく光り輝き、見る者は目を逸らさずにはいられなかった。まるで直射日光を受けたような感じだったからである」と述べています。神殿の中には高さ12メートルもの繋ぎ目の無い大理石の柱が何本もあり、純金でできた大きなぶどうの木と房の献納物がありました。房は人間の背丈程あったと言います。これだけのものを見れば人が驚き褒め称えるのは当然でしょう。でもイエス様は「やがてこれらは皆崩壊されて跡形もなくなるのだ。見える物は必ず滅びる。見えないものの中にこそ永遠に続くものがあるのだ」と教えられたのです。

さて、今日の聖書から二つのことを話したいと思います。第一は「終末」、つまり「世の終わり」についてです。神殿の崩壊を予告したイエス様に人々は「そんなことが起こったら世の終わりも同然です。一体いつそんなことが起こるのですか?そのことが起こる時にはどんな徴があるのですか?」と質問しました。イエス様はその徴とは、①わたしの名を名乗る者(偽キリスト)が多く現れる、②戦争や暴動があちこちに起こる、③大きな地震や飢饉・疫病が発生することだと答えました。弟子たちは、それは今すぐにでも起こるように考えたのですが、『マタイ』24:14にあるように「福音があらゆる民に伝えらえれ、それから終わりが来る」というのがイエス様の教えでした。「世の終わりが近い!」と騒ぎ立て不安を煽るのではなく、落ち着いて力を込めて一人でも多くの人にイエス様の愛の福音を伝えることが大切なのであります。

今から30年以上前、私はフィリピンのケゾン市にあるキリスト教施設に宿泊させて頂きました。一流のホテルではありませんでしたが、冷房の効いた快適な場所でした。暇を見てそこで働いている人に「ここは何をしている所ですか?」と聞きました。彼は、「ここは聖書を現地の少数民族の言葉に翻訳している施設だ」と教えてくれました。フィリピンには「タガログ語」以外に80以上の言葉があり、その地方語の一つ一つに聖書を翻訳する気の遠くなるような仕事が宣教師たちによって進められていたのです。まさに「キリストの福音があらゆる民に伝えられ、それから終わりが来る」というイエス様の教えを信じ、喜んで忠実に主に仕えている人々だったのです。

第二は12節の「人々はあなたがたに手を下して迫害し」と、17節の「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる」についてです。イエスをキリスト・救い主と信じる者は迫害され、憎まれるというイエス様の予言についてです。歴史はいくつものキリスト者への迫害を伝えています。遠藤周作の名著『沈黙』を思い出してください。アンネ・フランクの書いた『アンネの日記』を思い出してください。第二次大戦中多くのユダヤ人の命を救った日本人外交官、杉原千畝さんのことを思い出してください。第二次大戦中、日本の教会では天皇崇拝が強制され、日曜日の礼拝の冒頭、皇居の方を向いて頭を垂れる「宮中遥拝」が義務付けられたことを思いだしてください。ヒットラーを排除しようとして殺された若き神学者ボンフェッファーのことを思い出してください。クリスチャン迫害の歴史です。何故こうなるのでしょうか?理由は簡単です。クリスチャンは時の権力者に服従しないからです。どんな王様よりも天皇よりも、大切なのは神様でありイエス・キリストですから、権力者には従いません。よってクリスチャンは、権力者にとってまことに邪魔な、時には危険な存在なのです。イエス様の12人の弟子たちも自殺したイスカリオテのユダとイエス様の母マリアを引き取ったヨハネ以外の10人は、皆殉教しました。今もいくつかの国では礼拝を守ることが許されていません。迫害は今も続いているのです。

でも私は信じています。ローマ帝国からあれ程迫害されたキリスト教が、何と約300年後にローマ帝国の国教(国の宗教)になった歴史が示すように、キリスト教はこれからも、迫害されれば迫害されほど益々成長し人々の心の中に拡がってゆくのだと。