2024年9月5日(木)
朝 の 説 教
- 祈るときには -
『ルカ』11章5~13節
今日の聖書は長いので、5節から13節までを選び、二つのことを話したいと思います。
第一は5節から7節のことです。皆さんは、いくら友達とはいえ真夜中に人を訪ね、更に食事付きの宿泊まで要求するなんて考えられない、非常識極まりないことと思いませんか?我々の常識では考えられないことです。でもイエス様は起こりもしない話を例話に用いることはしません。ここに書いてあるようなことが実際に、時々はあったのです。砂漠気候のパレスチナの日中は猛暑です。40度を超すことが度々でした、その結果涼しくなる夕刻に出立することがあり、目的地に着いたら真夜中ということがあったようです。だったら宿屋に泊まるべきで友人の所に押しかけ、しかも食事の提供まで要求するなんて考えられない、と思うでしょう。でも古くからパレスチナでは〈旅人をもてなすこと〉は最善のこととされてきたのです、旧約聖書の『創世記』18章2節以下の、アブラハムが旅人をもてなす場面がそうです。「目を上げて見ると、三人の人が天幕の入り口に立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走りで出て迎え、地にひれ伏していった。『お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。水を少々持って来させますから、足を洗って木陰でどうぞ一休みなさってください。何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく僕の所の近くをお通りになったのですから』。その人たちは言った。『お言葉どおりにしましょう』と。見ず知らずの旅人3人にここまでの親切は、我々の目には異常です、でも旅人をもてなすことはパレスチナの人々にとって最高善、最高に良いことだったのです。
私も趣味のサイクリングの途中に難儀して、思いもかけず見ず知らずの人から家に泊めていただき、食事の提供まで受けた経験があり、今でも忘れられない一生の思い出です。
第二に話したいのはイエス様の9節以下の有名なお言葉、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」についてです。皆さんは「本当ですか?!噓でしょう!人生そんなに簡単じゃないですよ。もしこんなだったら、人生何の苦労もないでしょう!」と言うに違いありません。でもこれは真理です。祈りは必ず聴かれます。
イギリスの神学者バークレーは、「祈りが答えれないということはあり得ない。神様から与えれた答えが、我々の望んだものとは違うことはあるだろう。また、たとえその答えが我々の願いを拒否するものであっても、それは神の愛と英知に基づく答えなのである」と書いています。
カトリックのシスターであった渡辺和子さんは『領収書の信仰』というエッセイの中で、「『わたしがお願いしたのは欲しいものでした。でも神様、あなたは私が本当に必要としているものをくださったのですね。有難うございました』と言いながら、ハート型の領収書をポンと押して、神様にお返しできる自分になれたらいいなと思っています」と書いています。
私たちの祈りを神様は聞いてくださっています。そして必ずしも願い通りでなくても、私たちの人生に最善な答えを下さるお方なのです。私は自分の人生でそのことを何度も経験し、益々神様への信頼を強くした者です。
50歳の頃、私は悩んでいました。転勤した高校で指導経験のない女子バレーの顧問になり、土日も祝日もなくなったのです。生徒は大好きですから力を尽くしたいのですが、クリスチャンであるのに、日曜日の教会の礼拝に全く行けなくなってしまったからです。悩んで、悩んで、祈りました。「神様、人生の最後には100%キリスト教の仕事をさせてください!」と必死に祈りました。祈りは1年後に聴かれました。ギデオン協会という聖書を贈呈する団体から〈総主事〉、事務局の責任者として東京のお茶の水の事務所で働いて欲しいというオファーが来たのです。大好きな高校の先生は辞めなくてはなりませんでしたが、私の祈りに神様は答えてくれました。後に、牧師になることも出来、もう二度と高校の教師には戻れないと諦めていたのに、聖光学院という夢のような学校で働くことも神様は用意してくれていたのです。私の願いの何倍もの祝福を主は用意してくださっていたのです!祈りは100%どころか300%位聴かたのです!
皆さん、どうか祈ってください。熱心に祈り求めてください!神様は必ず、必ず、必ず、あなたの将来に最も良い答えを与えてくださいますから!今日の聖書はそのことを私たちに教えてくれているのであります。