2024年9月25日(水
朝 の 説 教
- 目を覚ましている僕- 『ルカ』12章35~40節
1 イエス様のお話の背景
今日の聖書はとても分かりにくい所です。40節に「人の子(イエス様のこと)は思いがけない時に来る」とあります。これはキリストが十字架で殺された後、もう一度この世に来ること、キリスト教で「再臨」と呼ばれていることです。
イエス様の十字架での死は間近に迫っていました。イエス様は既に2回、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」と弟子たちに予告しています。それを聞いた弟子たちの反応は複雑でした。ペテロのようにイエス様をわきへお連れして「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」とイエス様を諫めた弟子もいました。そのためペテロは、イエス様から「サタン、引き下がれ。あなたはわたしを邪魔する者、神のことを思わず、人間のことを思っている」と厳しく注意されました。他の弟子たちは、「殺されてしまうような弱い指導者のために家族や仕事を捨てて従ってきたのではない」と心の中で反論したり、怖くて質問する勇気が出ない者やこの話題を避けようとする者が殆どでした。当然のことだと思います。このように先生であるイエス様の死を恐れ、不安と失望感にとらわれている弟子たちに、イエス様は心を込めて次の三つのことが必ず実現するからと、励まし元気づけたのでした。
2 イエス様の三つの約束
- 復活・・・イエス様は単に自分が侮辱され、極悪非道の人間のみが受け
る十字架で殺されることだけを伝えたのではなく、「わたしは三日の後に復活することになっている。それが父なる神のご意志であり、決められたことなのだ」と告げたのでした。死で終わらず、復活によって死に打ち勝つことを弟子たちに約束されたのです。毎年3月末~4月、世界中でイエス様の復活を祝う「復活祭」(イースター)が祝われています。またキリストの教会は、イエス様が復活された週の初めの日、日曜日に毎週教会に集まり礼拝を捧げています。イエス様は約束の通り復活なさったのであります。
- 聖霊を送る約束・・・死を目前にしてイエス様は、「わたしが去って行
かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ない。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る」(『ヨハネ』16:7)と、自分の死後、弁護者、即ち聖霊を送る約束をされました。聖霊と言っても皆さんは何のことか分からないと思います。死んで神様の元へ帰られたイエス・キリストが、目に見えない空気のような姿で再び来られ、私たちの心の中に居続けてくださることです。パウロは、「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿っている神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」(『Ⅰコリント』6:19)と言っています。私たちの体は「生きた聖霊の宮」なのであります。
皆さんは「三位一体」という言葉を知っていますか。キリスト教の考え方で神とキリストと聖霊は、三つにして一つという考え方です。私は、私の体の中にイエス様が目には見えない聖霊となって、いつも共にいてくださると信じています。イエス様が住んでいるこの体です。自殺なんか許されないし、節制して、大切に長持ちさせなければと思っています。
- 再臨・・・三番目にイエス様は、「わたしは再びこの世に来る」と言わ
れました。今日の聖書に、ある日突然戻って来る主人のことが書かれてありますが、この主人とはイエス・キリストのことです。その日はいつなのか、誰にも分りませんが、主は必ずもう一度この世に来られると約束されたのです。
先の二つ、①十字架で殺されてから三日目に復活すること、②聖霊という目には見えない空気のような形でイエス様が私たちの心の中に住んでくださること、この二つは既に実現しました。再臨はまだです。でもイエス様は決して約束を忘れるようなお方ではありません。
だから私たちは、腰に帯を締め、灯りをともし、目を覚まして、準備万端、イエス様の再び来られるのを「今か今か」と待ち望みたいと思うのであります。