2020年7月21日(火)
朝 の 説 教
-仕える者になりなさい-
『マルコ』10章35 節~45 節
1 はじめに・・・イエス様は三度も弟子たちにご自身の受難予告をしました。何の罪もないのにひどい侮辱を受け十字架で殺されるのです。イエス様は、どんなに辛く苦しい気持ちだったでしょうか。それなのに弟子たちはイエス様の苦しい心などそっちのけ。誰が一番偉い弟子かをめぐって言い争いをしていたのです。とんでもないことです。でもそんな弟子たちに対してイエス様は、「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」と、静かに、でもしっかりと諭されました。
2 日野原重明先生の人生に学ぶ・・・今日のイエス様の教えで私がすぐ思い出すのが、日野原重明先生の人生です。先生は先頃105歳というご高齢で亡くなられました。先生は牧師の家庭に生まれました。小さい時急病になったお母さんを安永という医者が夜遅く往診して治してくれたのを見て、医師になることを決意しました。京都大学医学部を卒業して東京にある聖路加病院に勤務しました。内科医でした。夢は、世界一の内科医、世界一有名な内科医になることでした。そんな夢を持つ先生に一大転機が訪れました。「よど号ハイジャック事件」に巻き込まれたことです。
1970年3月31日、福岡での学会に出席するために、日野原先生は羽田から飛行機に乗りました。それが日航機「よど号」でした。そこには北朝鮮に亡命しようとして赤軍派の青年が9人乗っており、飛行機をハイジャックしたのです。彼らはダイナマイトを持っており、自分たちの要求が通らなければ乗客・乗務員もろとも死ぬ覚悟でした。特に韓国の金浦空港に着きながら、ここは北朝鮮のピョンヤン空港だとの嘘がばれた時は、緊張が高まり、日野原先生は死を覚悟しました。膠着状態が続く中、赤軍派から借りた本、ドフトエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を薄灯の下読み始めました。冒頭に聖書の言葉「誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯ひとつにてあらん、もし死なば、多くの実を結ぶべし」(『ヨハネ』12:24文語訳)がありました。
更に読み進むとゾシマ神父の言葉、「お前にはイエス様がついていなさる。イエス様を後生大事に守りなさい。そうすればイエス様もお前を守ってくださるからな。大きな悲しみにも出会うであろう、が、その大きな悲しみの中にも、お前は幸福を見出すじゃろう。悲しみの中に幸福を求めよ。働け、うまず働け。よいか。今からこの言葉を肝に銘じておきなさい」に出会いました。
4日の後、政府派遣の山村政務次官が身代わりとなり、乗客全員が解放されました。その時の気持ちをこう語っています。「4日の拘留の後に解放されて飛行機を降りて金浦空港の地上を足の裏で踏みました。『あー、ぼくの命は与えられたんだな』と思った。これからは僕が持っている時間を誰かのために使うのが使命なんだという気持ちがふつふつと湧いてきたんですよ。実に僕の人生の転機はあそこにあるんです。『僕の命は与えられたものなんだ、これから、この与えられた命を誰かのために提供すべきなんだ』という、そういう新しい世界が開かれたのです。これが、あのよど号事件が僕に教えてくれた最大のことです」と。
こうして日野原先生の生き方は「世界一の内科医に、世界一有名な内科医になる!」ではなく、「困っている人のために喜んで自分を差し出す人生」に変えられたのです。それから25年後、地下鉄サリン事件が起きた時、日野原先生はただちに病院をあげて受け入れを決意。自ら陣頭指揮に立ち、発生から僅か3時間の間に、640名も被害者を病室のみならず、事務室・食堂・会議室・玄関などあらゆる所を開放して受け入れたのでした。
イエス様は弟子たちに、「偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい」と教えられましたが、日野原先生はハイジャック事件に遭遇したことを転機として世界一偉くなる人生から、仕える人生に見事に方向転換し、105歳まで人々に仕え、すべての人の僕、イエス・キリストの弟子としての生涯を全うされたのであります。