新井秀校長説教集40~最高法院で裁判を受けるイエス様~

校長

2020年10月1日(木)

朝 の 説 教

- 最高法院で裁判を受けるイエス様 -

『マルコ』14章53節~65節

今日は、イエス様が捕らえられ、弟子たち全員に逃げられてしまい、一人、夜中の裁判の場に引き出されたところです。イエス様の裁判をおこなった最高法院は、ユダヤの国会です。70名の国会議員と大祭司1名の計71名で構成されていました。国会とは本来立法機関ですが、最高法院は裁判所も兼ねた最高権力機関でした。祭司長・律法学者・長老らが構成する議員たちは、揃ってイエス様を死刑にしたいと思っていました。自分たちの権威を脅かす邪魔者だったからです。絶えず多くの群衆から歓迎されるイエス様に、強い嫉妬心を持っていました。

普通、裁判なら、訴える側の〈原告〉と訴えられた側の〈被告〉が互いに自分たちが正しいと主張し合い、最後に裁判官が判決を下すのですが、ここでは最初から「死刑にする」と決まっていたのです。でもユダヤ人には死刑にする権限がありませんでした。当時のユダヤは、ローマ帝国の植民地であったため、死刑を決め執行する権限はローマ総督にありました。そのため、イエス様を死刑にするには、イエス様がローマ帝国を軽んじ、ローマに敵対し、ローマ帝国に対して謀反を起こすという証拠を揃えねばなりませんでした。しかも、当時の律法によれば、死刑相当と決めるためには71人全員の一致が必要でしたし、証人たちの証言の完全な一致が必要でした。さらに法廷は夜間に開くことは許されていませんでしたし、万一死刑の判決が出ても、最低一晩を経過させてから刑の執行をすることになっていました。律法遵守を誇りとするユダヤの指導者である彼らは、形振り構わず、決まりを全て破って、とにかくイエス様を死刑にするべきとの結論を得ようと必死だったのです。

聖書に「証言は食い違っていた」と2回出て来ます。証言の完全な一致が無ければ有罪に出来ないし、死刑判決も出せません。困った大祭司は遂に「おまえはほむべき方(神)の子、メシアなのか」と聞きました。罠です。「そうだ、わたしは神の子なのだ」という返答を引き出し、神を冒涜した〈冒涜罪〉で死刑判決を勝ち取ろうとしたのです。イエス様は大祭司の計略を知った上で、「そうです」と答えたのです。待っていましたとばかり大祭司は、「これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は神を冒涜する言葉を聞いたのだ。神の子と言い張る者がローマ帝国に従順に従う筈がない」と騒ぎ立て、国会議員一同はイエス様を死刑にすべきだと決議したのです。さらに死刑が決まったイエス様に数々の侮辱がなされました。唾を吐きかけられ、目隠しをされて拳で殴られ、平手で打たれたりしました。イエス様は一言も発せず、愚痴も叫び声もあげず、酷い侮辱にじっと耐えてくださったのです。ここに私は、イエス様の「勇気」・「確信」・「愛」の神髄を見るのであります。

長い間救い主(メシア・キリスト)を待ち望んでいたユダヤ人たちは、何故、神の子キリストが地上に来て下さったのに、理解せず、憎み、侮辱し、極悪非道な人間が受ける十字架刑でイエス様を殺してしまったのでしょうか?妬みです!嫉妬です!マルコ15章10節に、ローマ総督ピラトが「祭司長たちがイエスを引き渡したのは、妬みのためだと分かっていた」と書いてあります。

人間、自分の地位や名誉が危うくなると、人殺しまでするのだと、改めて人間の「妬み」・「嫉妬」という罪の重大さを突き付けられた思いであります。

ただ一つの私の心の救いは、力に押されてイエス様の死刑の反対や「待った!」の声を出せなかったものの、やがてイエス様の遺体の引き取りを願い出たアリマタヤのヨセフ、高価な沈香と没薬を持ってイエス様の死体の葬りに来たニコデモの、2人の国会議員がいたということです。遅かったもしれません。

でもこの二人は、もはや誰の目も恐れず、「わたしたちはイエス・キリストの弟子だ!」と言える人に変えられたのです。愛の奇跡以外の何物でもないと私は思い、感謝する者であります。