2020年11月16日(月)
朝 の 説 教
- ステファノの逮捕 -
『使徒』6章8節~15節
1 あらすじ・・・前回からステファノのことを学んでいます。エルサレム教会では、人数が増えるに従って雑用も増え、イエス様の弟子たちが伝道に専念できなくなってきました。そこで、エルサレム教会に集まる人々の食事の世話をする人が特別に7人選ばれました。その一人がステファノでした。彼は、「信仰と聖霊に満ちている人」(6:5)であり、「恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた」(6:8)人でした。単なる食事係に留まらず、それを越えて、彼は熱心に伝道の働きにも加わっていました。エルサレム教会には各地から信者たちが集まっていましたが、人々の中には信仰理解に食い違いがありました。特にヘブライ語を話すユダヤ人と、外国から来てヘブライ語が話せず、外国語であるギリシャ語を話すユダヤ人の間には差別や衝突があったようです。そんな中、自分たちの信仰理解こそが正しいと思う一団がステファノに議論を挑みましたが、全く歯がたたず、完全に打ち負かされてしまいました。神に祝福され、豊かに用いられているステファノに勝てる訳がありません。議論に負けた彼らは怒りに狂い、イエス様に元々反対だった長老や律法学者や民衆までも味方につけて人々を扇動し、偽証人を立てて最高法院に訴え出ました。こうしてステファノは、何も悪いことなどしていないのに、逮捕されてしまいました。
次の7章には、裁判の中でステファノが述べた素晴らし陳述・説教が書かれています。学びを楽しみにしていてください。
2 ステファノという人について・・・次に、ステファノという人について学びたいと思います。ステファノという名前は、日本語では「王冠」という意味です。王様が付ける冠のこと、英語の「crown」です。欧米では男の子に良く「ステファン」・「スティーブン」・「スティーブ」という名前を付けますが、これらは皆このステファノから来ています。
彼は食事係として忠実に働くだけでなく、良く聖書を学び、福音を明確に捉えていました。そんなステファノを神様は特別に顧み、豊かに用いられました。
8節に「ステファノは恵みと力に満ち」ていたと書かれています。恵みとはギリシャ語では「カリス」と言います。日本語として良く使われる「カリスマ」と繋がる言葉です。これは神様からいただくもので、自分の努力や能力で作り出すものではありません。また力と訳されている言葉も「神に強められた」という意味のギリシャ語が使われていて、「エネルギー」の語源となった「エネルゲイヤ」は使われていません。きっとステファノは、最初は貧しい人たちに食事のお世話をするごく普通の人だったのでしょう。でも仕事の中で悩んだり、不安になったり、また人々の不満を聞いたりする中で神様に強めていただいたのだと思います。彼は決してエネルギッシュに活動した人ではなく、ごく普通の人だったのです。しかし神様に用いられて、一生懸命になって蔑まされていたギリシャ語を話すユダヤ人たちの困っている生活をお世話する中で、神様に愛され、強められていったのです。
これからの聖書を先取りするようですが、捕らえられたステファノには死刑が宣告され、彼は都の外に連れ出されて、穴の中に入れられ、皆から心臓めがけて一斉に石を投げられて殺されました。教会史上、最初の殉教者になったのでした。ステファノは膝まずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と言って死んでいきました。
私は、1596年、豊臣秀吉の命で長崎の西坂で処刑された「26聖人」の一人、パウロ・三木を思い出しました。彼は、「私たちは、太閤様をはじめ、処刑に関係した人々を恨みに思ってはおりません。ただ切に願うことは、太閤様をはじめ日本人全員が、一日も早くキリストを信じて救われることです」と言って死んでいったのでした。ステファノの最後の言葉と重なるからであります。