新井秀校長説教集49~イサクの示した生活の優先順位~

2021年1月18日(月)

朝 の 説 教

- イサクの示した生活の優先順位 -

『創世記』26章23節~25節

今日は聖書の一番初めにある『創世記』から学びます。お話ししたいのは、イサクという人が何を一番大切に生活したかということです。

イサクは父アブラハムと母サラの間に、両親が高齢でもう子供など生まれない年齢で、神様の恵みで与えられた子供でした。イサクとは、「神よ微笑んでください」という意味です。彼は、聖書に登場する殆どの男性が複数の女性と結婚しているのに対し、生涯、リベカという女性だけを妻として添い遂げた人でした。とても立派だと思います。イサクは神様から「わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを祝福し、子供を増やす」(24節)との言葉をいただき、実際、そのように神様の祝福を一杯受けました。その神様の祝福への応答として、25節にあるように「イサクは、そこに祭壇を築き、主の御名を呼んで礼拝した。

かれはそこに天幕を張り、イサクの僕たちは井戸を掘った」のでした。祭壇とは教会です。礼拝する場所を最初に作ったのです。天幕を張るとは住む家を建てたということです。井戸を掘るのはその水で畑を耕し、家畜を育てること、つまり仕事です。イサクは、第一が礼拝(信仰)、第二が家庭、第三が仕事という優先順位を守っていました。今の日本ではどうでしょうか?全く逆転しているのではないでしょうか?仕事→家庭→礼拝となっていないでしょうか?確かに仕事は大切です。働けるから給料をもらえ、自分も家族も養えるからです。

でも、世界では違うのです。イスラム教の人は一日に5回お祈りをし、金曜日にはモスクに行って礼拝をします。ユダヤ教の人は、土曜日が聖日で、シナゴーグに行って礼拝をします。クリスチャンは毎日曜日に教会に行って礼拝します。日本では、仕事に夢中で家庭を顧みない人がとても多いですし、礼拝など、仏教なら人が死んだ時か、お盆の時かお彼岸の時にお寺に行ったりお墓参りをする位です。この機会に自分の生活の優先順位を再確認したいものです。

イサクの素晴らしい生活にあやかろうと、外国のクリスチャンは良く男の子に「アイザック」と名付けます。万有引力のアイザック・ニュートン、ユダヤ系のバイオリニスト、アイザック・スターン、日本でも矢内原忠雄さんの息子矢内原伊作さんなど、イサクの名前を付けた人が何人います。

皆さんは世界史の授業でピューリタン(清教徒)と呼ばれる人たちが、メイフラワー号という小さな船に乗って、イギリスからアメリカに渡ったことを学んだでしょう。カルヴァンの影響を強く受けた人たちで、イギリスにいては自分たちの宗教の自由が守れないと思い、新天地を目指した人々です。1620年、日本では江戸時代が始まったばかりの頃、102名のピューリタンがアメリカを目指しました。2ヶ月以上の過酷な船旅を終え、予定よりも北の寒いコッド岬付近に到着しました。ビタミンC不足による壊血病や寒さと飢えから約半数が死んでしまった過酷な旅でした。船の錨を下した後、彼らがしたことは、まず礼拝する場所(教会)を建てることでした。無事到着の感謝を主に捧げるためです。その後、集めた木材で粗末な家を建て、インディアンからトウモロコシを分けてもらい、種を蒔いて農業を始めたのです。イサクと全く同じように、第一に礼拝(信仰)、第二に家庭、第三が仕事の順序が守られていたのです。

イサクやピューリタンがしたように、私たちも、週の初め、一日の初めにまず創造者であり愛である神様・イエス様に感謝を捧げて生活を始められるようになりたいものであります。それこそが、祝福と成功への道だと確信する者であります。