新井秀校長説教集60〜断食についての問答〜

2021年6月17日(木)

朝 の 説 教

- 断食についての問答 -

『マタイ』9章14~17節

今日の聖書は、バプテスマのヨハネの弟子たちがイエス様のところにやって来て、「どうしてあなたの弟子たちは断食しないのか」と言ったところです。単に「言った」のではなく、「非難した」のです。イエス様は、当時の結婚式を例に挙げながら、彼らの非難を撃退しました。当時の結婚式は1週間続きました。

花婿・花嫁は親戚や友人を招き、美味しい食事とぶどう酒を振る舞い、結婚を心の底からお祝いしました。「神の独り子であるわたし(イエス)が花婿としてここにいるのは、結婚式の最中と同じだ。そんな喜びの中で、哀しみの表れである「断食」をすることなどあり得ない」、と言って撃退しました。

イエス様は決して断食を否定しているのではありません。イエス様自身、四十日四十夜の断食を荒野で経験しておられます。旧約の時代には、大きな困難や哀しみに襲われた時、人々は断食をして必死に神に祈り求めました。『エステル記』では、悪者ハマンの計略でバビロンに捕囚されていたユダヤ人全員が殺されようとする中、王妃エステルが、命がけで王にユダヤ人救出を直訴する場面があります。エステルは「このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。だからユダヤ人の同胞の皆さん、私のために三日三晩断食し、飲食を一切断って祈ってください」と求めました。断食をしながらの必死の祈りが神に届き、ユダヤ人の命は助けられ、代わりに悪者ハマンが殺されたと書かれています。

断食には、部分断食というのもあります。食事の一部を断つのです。私はアメリカの教会を訪ねる機会が何度かありました。礼拝が終わり、別な部屋に移ってコーヒーを飲んだり、ドーナッツを食べたりした時です。壁を見ると何人かの写真が貼られていました。それはこの教会から海外に派遣されている宣教師たちでした。どこの国に派遣されているか、期間はいつまでか、家族の紹介などが載っていました。そして教会員から、宣教師を派遣する費用の一部がSacrificial Meal で捻出されていることを知りました。直訳すると「犠牲的食事」です。教会のキャンプなどで良く行われます。夕食が「ハンバーグ定食」だとすると、パンとサラダとシチューは出るのに、肝心のハンバーグが出ません。ハンバーグを断食してその代金に当たる10ドル(1,100円)を海外に宣教師を派遣するために献金するのです。まさに「犠牲的食事」です。私もこうして日本に派遣されて来た宣教師たちから英語を学び、聖書を学びました。この3月まで学校にALTとして勤務していたシンディー・リー先生も、こうしてアメリカの教会から日本に派遣されていたのです。何と麗しい愛と犠牲の行動でしょうか!

ここまで聞いて来て、断食なんて若い自分たちとは関係ないと思っていませんか?実は皆さんも私も、毎日断食しているのです。証拠を示しましょう!英語で「朝食」を何と言いますか?そうbreakfast ですね。この単語はbreak(破る)とfast(断食)の合成語です。夜8時に夕食を終え、10時に寝て、翌朝
7時に起床するとしましょう。結果、夕食後の約11時間断食をしたことになります。毎日の長時間の断食によって胃腸を休ませ、健康を保つのです。その長時間の断食を破る最初の食事がbreak-fast「破る・断食」、朝食なのです。

クリスチャンの中には、イエス様が十字架で殺された金曜日、イエス様の痛さ・苦しさ・イエス様を十字架に付けてしまった自分の罪を思って断食する人たちがいます。とても良いことだと思います。でもそれは、律法学者やファリサイ派の人々のように、人々に見せびらかして称賛を得るためにではなく、ジョン・ウエスレーが言うように、「ただ主に向って断食をなさしめよ。ただ天にまします我らの父の栄光を表すことのみの断食であらせよ」でありたいと願う者であります。