新井秀校長説教集64~イエス誕生の予告~

校長

2022年4月14日(木)

朝 の 説 教

- イエス誕生の予告 -

『ルカによる福音書』1章26 ~38 節

 

1年生の皆さん、毎朝の礼拝では必ず聖書を読みます。すぐページが開けられるように、忘れず栞を挟んでおきましょう。明日は今日の続きの勉強ですからすぐ開けることが出来ます。

今日も登場する「イエス」とは親が付けた名前です。当時男の子には良く付けられた名前です。「キリスト」とは「救い主」のことで、メシア・メサイアとも言います。キリスト教とは簡単に言えば「イエスをキリスト(救い主)とする教え」です。今日はその幼子イエス誕生の予告が、天使によってお母さんのマリアに告げられているところです。

イエス様時代の女性の結婚は今よりとても早く、マリアはきっと10代後半だったろうと思います。丁度高校生位です。マリアはヨセフという人と婚約していました。婚約期間中に性的関係をもつことは許されませんでした。そんなマリアに突然天使から「あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む」と告げられたのです。とても信じ難い、受け入れ難い話です。「もし妊娠したら、夫になるべきヨセフにどう説明したら良いだろうか。きっと私が不倫したと疑うだろう。更にこのことが公になれば、私は不倫の女として「石打の刑」で殺される。身に覚えのないことで疑われ、嫌われ、殺される。とても受け入れられない」と言いたくなる話です。でもその中からマリアは、信仰において決断し、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と言ったのでした。ここから3つのことをお話しします。

 

第一は、神様の暖かい配慮です。36節に「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう6ヶ月になっている」とあります。「エリサベトの妊娠もまた神様のご計画の中にあるのだよ」と天使を通して告げているのです。また夫となるヨセフにも天使を通して「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻を迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい」と告げています(『マタイ』1:20~21)。マリアが疑われないように夫のヨセフにも話をしてくださったのです。神様の暖かい配慮です。

 

第二はエリサベトの存在です。彼女とマリアは親類です。エリサベトの方がマリアよりかなり年上です。妊娠した後マリアはエリサベトを訪ね3か月滞在したと56節にあります。マリアを迎えたエリサベツは、直ちにことの真相を悟り、マリアの良き理解者となり、慰め手・相談相手となり、共に祈ってマリアを励まし、3か月後にマリアが帰郷するまでの間この上もない憩いの場を提供したのでした。信仰者は神様・イエス様に理解されていることに最上の慰めを見出す者ですが、同時に、近しい人間の中に良き理解者をもつことの慰め・喜びは決して小さいものではありません。エリサベトとは「神は誓いなり」という意味ですが、マリアに会った途端に全てを見抜き、「わたしの主(キリスト)のお母さまがわたしのところに来てくださるとはどういうわけでしょう」と語りかけています。エリサベトは素晴らしい信仰の目と豊かな愛を兼ね備えた女性でした。

 

第三はマリアの決断の素晴らしさ、潔さです。彼女は遂に「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と言ったのです。何と言う感謝、何と言う謙遜でしょうか!まさに救い主のお母さんになるにふさわしい信仰と献身です!ところで「はしため」って何ですか?辞書で引くと「召使の女」・「下女」とありました。「はしたがね」なら知っていますか?役にたちそうもない少しばっかりのお金のことです。はしためとは漢字で「端女」と書きます。取るに足らない女、位の低い女の意味です。マリアはそのように自分を呼んだのです。この謙遜、この考え方こそ救い主キリストの母になるにふさわしい信仰と人格ではないでしょうか。

 

イエス様はこのようにして、信仰篤い父ヨセフと母マリアの長男としてベツレヘムの馬小屋で生まれ、ナザレで育ち、大工として30歳まで弟や妹たちの優しいお兄さんとして平和にお過ごしになったのです。