2022年5月20日(金)
朝 の 説 教
- 重い皮膚病の患者を癒すイエス様 -
『ルカによる福音書』5章12 ~16 節
1 この出来事の背景・・・今日はイエス様が重い皮膚病の患者を癒された場面です。「重い皮膚病」と訳された元々のギリシャ語は「レプラ」、英語では「leprosy」、日本語では「らい病」と言ってきました。重症になると皮膚が崩れ落ち、『聖書の中のらい』の著者であるブラウン博士が言うように「その姿は人間とは思えない程に変形する」病気です。おまけに傷口からは膿が出てきます。播磨醇牧師は『極限で見たキリスト』という本の中で、神学校時代の体験を、「神学生として5週間の夏期伝道実習に当たっていた最後の日、私は初めてらい患者の重病棟に入った。ベッドに座っていた後ろ姿の婦人に声をかけた時、振り向いた婦人の顔を見て、私は打ち震えそのまま意識を失っていた。気が付いてみると、私はベッドの側にうずくまったままで、顔も口もこわばってしまい声も出なかった」と正直に告白しています。皆さんはこの病気の人に会ったことはないでしょう。日本では「らい予防法」といいう法律で、患者は皆、人里離れた施設に収容されてきたからです。
イエス様の時代、もしこの病気になれば家族から切り離されて一人村の外に住み、人が近づいて来れば「わたしは汚れた者です!汚れた者です!」と叫ばねばなりませんでした。人間としての尊厳を完全に奪われた人たちだったのです。これはつい100年程前までの日本でも同じでした。日本でらい患者になると、①天刑病(天からの刑罰を受けた病気)の患者と忌み嫌われ、②親子兄弟の縁を切られ、③郷里を追われ、④そのまま行倒れになるか、⑤自分の醜い姿をさらして物乞いをするか、それ以外に生きる道がありませんでした。聖書には盲人が道端で物乞いをしている記事はあっても、らい患者が物乞いをしている記事はありません。きっと家族や近所の人がそっと食べ物や着るものを届けていたのでしょう。100年前の日本より良い状況だったとさえ言えます。そんならい患者にイエス様はご自分の手を差し伸べてその人に触れ、病を癒されたのでした。ここにイエス様の信じ難いほど深く強い愛があります。
2 患者との会話に見るイエス様の深い愛・・・イエス様がある村に入ると、そこに全身重い皮膚病の患者がいました。この人はイエス様を見てひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」とお願いしました。ここで「御心ならば」と訳された部分を英語の聖書で見ますと「If you are willing」となっており、直訳すれば「主よ、もし治してくださるご意志があれば」となります。それに対するイエス様の答えは「よろしい。清くなれ」でした。この「よろしい」と訳された部分は英語の聖書では「Yes, I am willing」です。これも直訳すれば、「そうだ!わたしはどうしてもお前の病気を治したいのだ!」となり、イエス様の強い意志・深い愛を表しています。この人はどんなに嬉しかったことでしょうか!今は「プロミン」という特効薬がありますが、イエス様の時代には薬などありません。自然治癒に期待するしかなく、実際にらい病が治り社会に復帰できた人は殆どいなかったのであります。
3 病気が癒されなくても感謝できる信仰・・・今日の聖書に出て来た病人はイエス様によって病気が癒されましたから、きっと嬉しく大喜びだったことでしょう。では現代、祈っても祈ってもらい病が癒されない人は皆、神様を恨み自分の不幸を嘆き続けるのでしょうか?そうではありません。先ほど引用した播磨醇牧師は、瀬戸内海に浮かぶ長島の療養所と教会に50年近く仕えた先生ですが、本の中で次のような感動的な話を書いておられます。「桑原幸子さんは78歳で天に召された。既に失明し、重度の不自由な病床生活を送っていた。彼女は体中に痛みや苦しみをいっぱい背負い込み、毎日喘ぐような息で、しかし本当に穏やかな顔で『神様、感謝です!感謝です!』と言い続けていた。この世的に見て、彼女の生活からも存在からも〈感謝〉が出て来る筈はないし〈喜び〉が出て来る素材もない。まさにそれは悲劇の塊でしかない。しかし、それにも拘わらず、その崩れた顔の内側からキリストの輝きが映し出されていた。それは本当に美しい姿であった。この厳粛な事実ほど神が本当におられることをリアルに物語るものはなかった。キリスト教とはどのような宗教であるのかと誰かに問われたら、私は何のためらいもなく、このような人を生み出していく宗教であり、極限の世界で光を放つことのできる宗教であると答えるであろう」と書いています。
私は今日の聖書と播磨醇牧師の本を改めて読み、今一度、神様・イエス様を信じることの素晴らしさを教えられた者であります。