2022年9月16日(金)
朝 の 説 教
- ジョン・ニュートンの人生と「アメイジング・グレイス」 -
今日は聖書から離れて、先ほど聴いた讃美歌の作者ジョン・ニュートンの人生と、讃美歌451番の「くすしきみ恵み」の誕生についてお話します。皆さんは好きになった讃美歌がありますか?私は讃美歌を歌うのが大好きです!でも学校の礼拝ではコロナの影響で声を出して歌うことが出来ずとても残念です。一日も早く大声で神様を賛美できる日が来ることを神様に祈っています。
この451番の讃美歌は「アメイジング・グレイス」という名で、世界で最も良く歌われ、最も多くの人々に愛されてきた讃美歌です。特にアメリカでは好んで歌われ、「アメリカ合衆国の第二の国歌」とさえ呼ばれています。讃美歌は左上に作詞者のことが書かれ、右上に作曲者のことが書かれています。451番の左上に作詞したジョン・ニュートンのことが書かれています。彼は1725年に生まれました。今から約300年前、日本では江戸時代の中頃、8代将軍吉宗の頃、イギリスのロンドンに生まれました、父は地中海航路の船長、母の名はエリザベス。熱心なクリスチャンでした。母は息子にジョン(ヨハネ)という名前を付け、将来は牧師になって欲しいと願い、毎日曜日教会に連れて行き、聖書の言葉を暗記させました。そんな愛情深い母でしたが、ジョンが7歳の時突然亡くなってしまいました。
これを境にジョンの生活は一変し、彼は11歳で船に乗り始め、やがては奴隷船の船長になりました。アフリカの西海岸で、ただ同然で奴隷を買い、船にギューギュー詰めにして運び、アメリカ南部の大農場の綿摘み労働者として高い値段で売りさばいたのです。「ぼろ儲け」の出来る仕事でした。船倉は僅か90cm程しかなく、立って歩くことも出来ず、おまけに5人が足かせで結ばれ、一人がトイレに行きたければ他の4人を引きずって行かねばならない有様でした。実に人類史上最悪の悪徳行為をジョン・ニュートンは何年も続けていたのです。 でも時には小さい頃亡き母に教わった讃美歌を思い出し、暗記した聖書の言葉を思い浮かべ、大好きな初恋の女性メアリーのことを思い出しながら、「こんな生活を続けていては駄目だ!」と思う時もありました。
そんなある日、彼はイギリスに帰る途中で大嵐に遭遇しました。船は前後左右に大きく揺れ、船には海水が入り、沈没を覚悟するような状況になりました。
「死ぬのか!」と思った時、母に教えて貰った聖書の言葉が浮かびました。『ルカ』11:13「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」というイエス様の言葉です。「そうだ!どんな人でも求める者を神は救ってくださるのだ!」とジョンは気付き、必死の祈りを始めました。
やがて奇跡的に嵐は静まり、ジョンはイギリスに戻って奴隷船の船長を辞め、神学校に入りやがて牧師になりました。初恋の女性メアリーと再会し、結婚し、幸せな家庭を築き、イギリス各地で牧師を勤めました。その中から生まれたのがこの讃美歌です。
1番に「迷いしこの身」とありますが、「迷いし」と訳された元の言葉はwretchで、「恥知らず」とか「卑劣な」と言う意味です。かつての奴隷船の船長時代の自分を「恥知らずな人間」・「卑劣な人間」と言い切っています。深い反省が滲んでいます。「でもそんな卑劣な自分を、神様・イエス様は赦してくださった。信仰を回復させ、牧師にまで引き上げてくださった。アメイジング・グレイス!何と言う恵み!考えもつかないような神の恵みだ!」、と書き残し、生れたのがこの讃美歌なのです。もっと詳しく知りたい人は、図書館に大塚野百合さんの書いた『讃美歌・聖歌ものがたり』という本がありますから、是非借りて読んでみてください。
聖書に「あなたの若い日に、あなたの創り主を覚えよ」(『伝道の書』12:1)とあります。素晴らしい言葉です。ジョン・ニュートンの劇的な回心には、幼くして死んだ母エリザベスの熱心な信仰が働いていたことを感動と共に改めて知らされた者であります。
最後に、私の尊敬するアメリカの黒人のソプラノ歌手、ジェシー・ノーマンの歌う「アメイジング・グレイス」を少しだけ聴いてください。