新井秀校長説教集75~安息日に腰の曲がった婦人を癒す~

2022年10月5日(水)
朝 の 説 教
- 安息日に腰の曲がった婦人を癒す -『ルカ』13:10~17

今日もイエス様は安息日に会堂で教えておられました。イエス様はその会堂の中に、18年もの長い間腰が曲がったまま苦しんでいる婦人がいるのを見つけました。可哀そうに思ったイエス様はすぐ彼女を呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」「もう治ったよ」と言われました。癒しを行われたのです。病気が奇跡的に回復したのですから周りの者全員で大声で主を賛美し喜び合っても良いのに、そうはなりませんでした。その日が安息日だったからです。何の仕事もしてはならない安息日に、急患でもなく直ぐに死んでしまいそうな病気でもないのに、イエス様が婦人の病を癒されたからです。会堂長は群衆に、「働くべき日は6日ある。その間に治してもらうがよい。安息日はいけない」と叫びました。直接イエス様に言えず、仕方なく彼は、群衆に不満をぶちまけたのです。

安息日とは何でしょうか?安息日は週の第7日目、土曜日です。この日は、神様が6日間で天地創造を終え7日目には休まれたと言う創世記の記事により安息日と定められ、緊急事態を除くすべての労働が禁じられ、人々は体を休め、会堂の礼拝に出席して聖書の言葉を聞いて心も休めることが決まりになっていました。会堂長の言い分は、「この女の病気は持病だ。もう18年も治らないのだから。しかも今すぐ命が危ないのでもない。だったら労働を禁じられている安息日を避け、他の6日のどれかにすれば良いのだ」というものです。いかにも正論そうです。でもそこには愛の欠片さえありません。あるのは非情な人を裁く心のみです。腰の痛みを知らないのでしょうか?しかも18年も長い間病気に苦しむことの辛さを分からないのでしょうか?

次に、安息日は何のために制定されたのでしょうか?旧約聖書の『出エジプト記』23:12(132頁)に、「あなたは6日の間、あなたの仕事を行い、7日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである」と書かれています。何と驚くべき言葉でしょうか!今から2,500年以上も前、日本では縄文から弥生に移行した昔

、既に社会の底辺で苦しんでる女性・子ども、外国から連れて来られた他国人のために、週一日の休みが与えられていたのです。何と民主的な愛に満ちた法律かと私は驚きを禁じ得ません、私の大好きな聖書の言葉の一つです。

この婦人は18年もの長い間腰が曲がったままで、痛さと不自由さの中に生きて来ました。毎週土曜日の安息日には、奇跡でも起こらないかと必死な想いで会堂の礼拝に出席し、神様の言葉に耳を傾けていたのです。でも何も起こらない。誰も「辛いでしょう!」も「お困りでしょう!」も「早く治るように祈っていますよ!」も言わない。全くの無関心の中に彼女は放置されていたのです。それを知ったイエス様の心は激しく動きました。彼女に「病気が治りたいのか?」も尋ねず、ご自分の手を婦人の悪い腰に置くこともなく、瞬時に婦人の病を癒されたのです。そして婦人に「もうあなたの腰の病気は治ってしまったよ!」と宣言されたのです。

人間が作った規則に閉じ込められ、愛の安息日から大切な愛を失くしてしまった当時の指導者たちにイエス様は言うのです。「今日の安息日に、痛さと不自由さの中で呻いているこの婦人にも、私たちと同じ本当の安息(やすらぎ)を与えてやるべきではないのか!」と。このイエス様の言葉に指導者たちは反論することも出来ずにすごすごと引き下がりました。逆に「群衆はこぞって。イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ」のであります。愛の勝利です!きっとこの女性はイエス様に感謝し、イエス様の弟子となってイエス様に従って行ったことでしょう。

最後に大切なことを言います。皆さんは「今の時代、安息日なんて存在しないし、自分とは何の関係もない」と思っていませんか?違います!キリスト教国ではイエス様が復活された日曜日を安息日としてずっと守ってきました。安息日にはゆっくり体を休め、とっておきの服装(サンデイ・ベスト)をして教会に行き、聖書のメッセージを聞き、讃美歌を歌って神様を褒め称え、友達と笑顔で挨拶を交わして互いの健康を祈り合い、心の安息を得てくるのです。

明治初期に金沢で活躍した宣教師にトマス・ウインという人がいました。金沢教会やキリスト教主義の北陸学院をつくった人です。彼に一つのエピソードが残っています。ウイン宣教師は電車も車もない時代の金沢で、遠い所にはいつも馬車で出かけたそうです。でも日曜日には絶対に馬車に乗りませんでした。「自分のために6日間働いてくれた馬を、この安息日だけは休ませなくてはならない」と堅く信じ実行していたのです。何と言ういたわりの精神でしょうか!これこそ愛の律法を忠実に守った例ではないでしょうか!