新井秀校長説教集88~洗礼者ヨハネの登場~

2023年4 月20日(木)
朝 の 説 教
- 洗礼者ヨハネの登場 -  『マタイ』3:1~6

今日は洗礼者ヨハネについて学びましょう。去年の今頃、私たちは『ルカによる福音書』でヨハネ誕生の物語をかなり丁寧に学びました。2~3年生は覚えていますか?質問しますよ。お父さんの名前は?ザカリアでしたね。エルサレム神殿で働く祭司でした。お母さんの名前は?エリザベト(エリザベス)です。二人にはなかなか子供が与えられなくて既に老齢になり、子を産む可能性は常識的にはゼロでした。でも二人の祈りに神様が応えてくださって、男の子が与えられました。名前は夢で命じられたように「ヨハネ」と付けました。聖書には何人ものヨハネが登場しますので、区別するために彼のことは「洗礼者ヨハネ」とか「バプテスマのヨハネ」と呼びます。

聖書に、ヨハネはラクダの毛衣を着て腰に皮の帯を締めていたとあります。奇妙な服装ですね。食べ物はいなごと野蜜でした。これも奇妙な食事内容です。2,000年前のユダヤ人が皆こんな服装や食事をしていたのではありません。ヨハネは普通の人と違うことが、これだけでも分かりますね。

話が横道に逸れますが、みなさんはいなごを食べたことがありますか?私は小さい頃、田んぼに一杯いるいなごを捕まえて煮て食べました。カルシウムは豊富かもしれませんが、一度も美味しいと思いませんでした。でも野蜜・蜂蜜は大好きです。健康にも良いと思っているので、自分で作った柚子ジャムに蜂蜜を入れて熱湯で溶かし、毎朝飲んでいます。ヨハネの服装や食べ物は明らかに変わっています。どうしてでしょうか?諦めきっていたのに奇跡的に男の子を授かったザカリアとエリザベトは、感謝の気持ちからヨハネを完全に神様に献げたのです。ヨハネは「ナジル人」だったのです。カタカナでナジル、それに人です。「別な」とか「他と違う」という意味です。聖書に出て来るナジル人は他に「怪力サムソン」や「サムエル」がいます。ナジル人は①毛に剃刀を当てず、髪の毛や髭は伸ばし放題でした。②ブドウから出来たものは一切口にしませんでした。ぶどう酒も、ぶどうジャムも、ぶどうそのものも駄目です。③死体に触れてはならないという決まりもありました。ヨハネは少人数のグループを作り、砂漠の中に住み、禁欲的な生活を送っていました。そして神様に召し出されてヨルダン川に出て、人々に悔い改めのバプテスマ(洗礼)を与えました。

「悔い改める」とは元々のギリシャ語では「メタノイア」と言い、「向きを変える」という意味です。今までの生き方を180度変えて、神様の恵みの中に入ることです。これからは神様の恵みの中で生きようと決意することです。北のヘルモン山を水源地として南に流れてくるヨルダン川にすっぽり身を沈めて、心の汚れを洗い流し、新たな考え方で新たな人生を歩み出すことです。

洗礼の時、ヨハネが言った言葉は極めて短く「悔い改めて福音を信ぜよ。神の国は近づいた」でした。洗礼者ヨハネは大変厳しい人で、たとえ相手が領主であろうと、当時の宗教指導者であろうと、間違いがあれば厳しく指摘しました。神学者バークレーはヨハネを「町中に吹きまくる神の嵐」と形容しました。神の愛から離れ、自分の欲望のままに生きる人間を容赦なく糾弾しました。特に政治的最高位にある領主や宗教的指導者であった律法学者やファリサイ派の人々を鋭く批判しました。自らの生き方を心から反省して向きを神様の方に変えろと、ヨハネは叫んだのです。それが「悔い改めよ」です。そして愛なる神を信ぜよと訴えます。更に「神の国は近づいた」と言いました。神の国とはイエス・キリスト(救い主)のことです。キリストがもうそこまで来ておられるのだから、と叫んだのです。「神の国」は「天国」と同義語です。国といってもイギリスや韓国のように、地球のどこかにそういう国あるのではありません。神の国とは〈神の支配〉のことです。具体的にはイエス・キリスト(救い主)の到来を指しています。

人々は続々とヨルダン川に集まり、ヨハネから悔い改めの洗礼を受けました。洗礼を受ける必要などないと自負していた当時の宗教指導者たちまでやって来ました。そして最後にはイエス様まで来られ、洗礼を受けたのです。

私にはとてもヨハネのように、位の高い人であろうとその間違いを指摘する勇気はありません。あまり人を批判したくないし、人と争いたくありません。静かに暮らしたいのです。私にはとてもヨハネのような〈嵐〉のような生き方は出来ません。でもイエス様を見上げて、イエス様のように愛のある人生を送りたいと願い、ささやかながら努力はしているつもりです。

今日の聖書の洗礼者ヨハネの言葉、「悔い改めて福音を信ぜよ。神の国は近づいた(近づいている)は、今に生きる私たちに「今の生き方で良いのか?!」と鋭く迫る言葉であります。