新井秀校長説教集92~狭き門より入れ~

校長

朝 の 説 教
- 狭き門より入れ -  『マタイ』7:13~14

1 狭き門とは何か・・・今日は「狭き門より入れ」という題でお話しします。このイエス様の言葉は大変有名で、クリスチャンでない人にも良く知られています。私は高校2年の時、アンドレ・ジイドの『狭き門』を読みました。ページを開けるとすぐ「心を尽くして狭き門より入(い)れ」(『ルカ』13:24)と古い文語訳の聖書の言葉が書かれてありました。でもその時の私には、ここで言う〈狭き門〉が何を意味するのか分かりませんでした。

イエス様は言うのです。「人生には二つの道がある。一方は狭い門から入って行く細い道、もう一つは大きな門から入って行く広い道です。この広い道の方は、たくさんの人が歩いている道で、楽な安易な道です。それに較べて細い道の方は、多くの人が見向きもしない道で、この道を選んで通る人は極めて少ない。この二つの道にはそれぞれ行く先があって、狭い門から入る細い道は〈真の幸福)〉に至り、大きな門を通って行く広い道は〈滅び〉に至る道だ」と言うのです。

2 狭い門から入った人生の例・・・狭い門から入り、真の幸福を得た人の例として「ライ患者の友」と呼ばれた林文雄医師の人生を紹介します。林さんは1900年に札幌で生まれ、1947年に亡くなりました。お父さんは林竹治郎と言い、東京芸大を出た画家であり教育者でした。竹治郎さんは熱心なクリスチャンで、林家では朝夕の食事時には家族が揃って聖書を読み、讃美歌を1節歌い、祈ってから食事をするのが常でした。林竹治郎さんの有名な絵は「朝の祈り」という絵で、朝、一家がちゃぶ台に頭を擦り付けて祈っている絵です。息子の文雄さんは大変成績優秀で、北海道大学医学部に入学しました。大学でも成績優秀で、教授から是非大学に残るようにと言われ研究助手に任命されました。助手に選ばれたということは、今後大学で研究を続けることができ、しかも教授になり博士にもなれる道が用意されたことを意味します。林さんの出世は約束されたようなものです。

ところが林さんは、その申し出を断りました。「わたしは、イエス・キリストが生きられたように自分も生きたい」と強く心に思いました。それは具体的には

  • 最も人手の足りないところに行く
  • 最も人の嫌がるところに行く
  • 最も苦しむ患者のいるところに行く、ことでした。

この三つが揃っているところへ行って働こうと決心したのです。そういうところと言えばライ病院でした。今はライ病とは言わずハンセン病と言います。この決心にはクリスチャンの両親も最初は反対でした。何故ならライ病は恐ろしい病気だからです。ライ病に罹るとだんだん身体が腐ってきて、耳は聞こえなくなり、目は見えなくなり、手や足の指が欠け落ちてしまうなどのとても恐ろしい病気でした。でも両親は文雄さんの必死の説得と自分たちの信仰の故に、最後は納得してくれました。でも既に結婚を約束していた女性は、「ライ病院だけはやめてください。恐ろしくて、わたし、ついて行けません」と言われてしまいました。林さんはその女性とも別れ、東京都北多摩にある「全生園」(ぜんしょうえん)というライ病院に奉職しました。

私はこれら一連の林さんの決断が素晴らしいと思います。まさにイエス様が言われた狭き門を入り、細い道を行く人生を自らの信仰で選びとったからです。

林医師は毎日のように病室へ行き、ベッドに寝ている患者一人一人の手に触れ、声をかけ、時には冗談を言って笑わせ、更に研究にも励む毎日でした。患者がふかしたさつま芋をもらって一緒に「おいしいね!おいしいね!」と言って食べました。普通なら病気が移ると誰もしないことです!でも林先生は違っていました。
暫くして同じ病院で働く富美子医師と結婚、かわいい女の子道子ちゃん、元気な男の子真君が生まれました。でも過労がたたったのか、重い病気に罹り47歳の若さで亡くなりました。

林文雄医師の人生はまさに「狭き門」を潜り抜け、誰も通らないような細い道を行く人生でした。でも神様・イエス様は「善かつ忠なる僕よ、よくやった!」と、天国に凱旋してきた林先生を喜び一杯に抱きしめたのではないかと、私は思うのであります。

狭き門を通るのは大変です。勇気と信仰が必要です。でも安易さや世の流行に流されず、信仰に根差した自分らしさを大切に生きてゆきたいと、今日改めて教えられた者であります。