新井校長説教集16 ~あなたこそわたしの神、依り頼む方~

2019年10月9日(水)
あなたこそわたしの神、依り頼む方-
『詩編』91:1~11

1 はじめに
この詩91はいつ頃、誰によって書かれたのか分かりません。おそらく今から3,000年近く前、神様を深く信じている人が書いたものでしょう。全部で150ある詩の中で、「信頼の歌」に分類される詩です。この詩は、神様を信頼し賛美する言葉で満ちています。神様に対する苛立ちとか、自分の不幸や不自由を、神様に責任転嫁するような言葉は皆無です。
この詩が言いたいことつまり結論は、「全能者である神様・イエス様に頼りなさい。神様はたとえどんなことがあっても、神を信頼する者には最善を為してくださるお方です。弱い私たちは、神様・イエス様のみ翼の下を安息の場所、隠れ家(シェルター)とさせていただきましょう」ということです。
「神様に頼るなんて弱い人間のすることだ」と言う人がいます。大きな間違いです。いくら強がりを言っても人間は所詮弱く、罪深い者です。聖書を良く読んで、『走れメロス』のような妹への愛と、友への友情と、誤った王に断固抵抗する正義感に満ちた、全く聖書の精神そのもののような小説を書いた太宰治でさえ、最後は愛人と入水自殺してしまいました。正しいもの、清いものを求めても、そう生きられないのが人間です。素朴に、単純に愛なる神様・イエス様を信じ、守っていただくことが、喜びと希望の人生へと我々を導いてくれるのだとこの詩の作者は言っています。

2 水野源三さんのこと
水野源三さんは、1946年長野県に生まれました。近くを千曲川の清流が流れる農村地帯です。元気に野山を駆け回る利発な少年でしたが、集団赤痢に罹り、病院はどこも満員で診てもらえない中、高熱を発して脳膜炎になってしまいました。9歳・小学4年生の秋でした。首から下は完全に麻痺し、残った機能は、耳が聞こえること、目が見えること、だけでした。自分では身動き一つ出来ない少年になってしまいました。どんなに自分の人生を悲観し呪ったことでしょう。お父さんは農協に勤め、お母さんはパンの委託販売をしていました。
そこにある日、宮尾隆邦牧師がパンを買いに来ました。宮尾牧師は進行性筋萎縮症で杖をつかねば歩けない不自由な体でした。町外れのあばら家に住み、小学校の分校の教師をしながら伝道し、集会を開いていました。それから何度もパンを買いに来ては、源三さんに合わせることを拒否するお母さんを説得し、遂に源三さんにイエス様の福音を語りました。源三少年の心は渇いていました。生きるための〈いのちの水〉を求めていました。熱心な宮尾牧師のお陰で源三少年はイエス様をキリストと信じるようになりました。神様をシェルター(隠れ家)とするように変えられたのです。するとどうでしょう?家族が口を揃えて「源ちゃんは本当に変わった。パッと変わった。あんなに怒ってばかりいたのに、今はいつもにこにこしている!」と驚く程でしたし、やがて高校生のお兄さん・お父さん・お母さんが次々と洗礼を受け、クリスチャンになる奇跡まで引き起こしました。
それだけではありません。心の底から湧き上がってくる神様・イエス様への愛を、母「うめじさん」の力を借り、瞬きで一字一字を指定して書いた素晴らしい詩を数多く作り出したのです。
神様・イエス様の愛を隠れ家とする人生は、この水野源三さんの人生のように喜びと感謝に変えられるのです。最後に源三さんの詩を2つ紹介します。

まばたきでつづった詩

口も手足もきかなくなった私を
28年間も世話をしてくれた母
良い詩をつくれるようにと
四季の花を咲かせてくれた母
まばたきでつづった詩を
一つ残らずノートに書いておいてくれた母
詩を書いてやれないのが
悲しいと言って天国に召されていった母
今も夢の中で老眼鏡をかけ
書き続けていてくれる母

み愛
亡き母にかわって義妹(いもうと)が入れてくれた香り良い新茶を
冷めないうちにお飲みください
できたら草餅もお食べ下さい
主よ、あなたが私を案じてお訪ねくださったそのみ愛だけで
私は十分なのです