2019年10月24日(木)
キレネ人シモン、イエス様に出会う 『マルコ』15:21~25
1 背景
いよいよイエス様が十字架に付けられる場面です。今日の聖書は、約2,000年前のエルサレムでの、金曜日の朝9時前の出来事です。弱虫のローマ総督ピラトは、群衆の暴動を恐れ、ローマ皇帝に自分の悪い噂が伝わることを恐れ、イエス様には何の罪もないと知りながら、十字架刑を許可しました。明日は土曜日、安息日、何もしてはならない日です。今日中に十字架に架けてしまわねばなりません。イエス様に重い十字架を担がせて、処刑場であるゴルゴタの丘まで進みました。この道はラテン語で「ヴィア・ドロローサ」(苦難の道)とか、「ヴィア・クルキス」(十字架への道)と呼ばれています。1キロ近い長さです。
イエス様は夜通し裁判に引き回されて一睡もしておらず、こぶしで殴られ、葦の棒で叩かれたり、鞭で打たれたりして、体は血だらけにされ、疲労困憊していました。イエス様にとって、重い十字架を最後まで担ぐことは無理でした。伝説では3回躓き転んだと言われています。見かねたローマの兵隊が、たまたまそこを通りかかったキレネ人シモンに命じて、十字架を担がせたのでした。
2.キレネ人シモンがイエス様を信じる者に変えられたこと
このシモンという男は、アフリカの北岸、今のリビアという国の港町キレネに住んでいました。過越しの祭りをエルサレムで迎えようと、遥々1,600キロも旅をしてエルサレムに来ていました。たまたま十字架を背負って苦しみ喘ぐイエス様の隣に来てしまったのです。「貧乏くじ」です。最も嫌な役目嫌な運命を背負わされたのです。きっと自分の不運・不幸を呪ったことでしょう。断ればローマ兵に鞭で叩かれますから、やむを得ず十字架を担いだのです。
ところで、聖書にはこのシモンと家族のその後のことが書かれています。
第一は『使徒言行録』13章1節に、「ニゲル(二グロ)と呼ばれるシメオン(シモン)が地中海に面したアンティアケアの教会の教師であったことが書かれています。第二は『ローマの信徒への手紙』16章13節に、「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです」と書かれています。ルフォスとはキレネ人シモンの次男です。
つまりこう読めるのです。貧乏くじを引いてイエス様の十字架を無理矢理背負わされたシモンでしたが、その後、彼はイエス様を信じる者に変えられ、アンティオキア教会の指導者になっていること、彼の妻は、パウロにとって母親のような大切な存在になっていること、次男のルフォスもまた、イエス様を信じるものに変えられていることが分かるのです。驚くべきことです!奇跡です!
ある牧師は説教でこう語っています。「そうだ、ただひとりだけ、主イエスの苦しみを共に味わい、主イエスに向けられたあざけりを自ら引き受けた男がいた。イエスの弟子でもなかったシモンは悔しさと恨みに歯ぎしりしながら、しかし、主イエスの最も近くで、主と共に足を引きずって、主の十字架を背負った。彼だけがそのことを為し得た。彼だけが主と苦しみを共にしたのだ。イエス様と並んで歩いたごく短い間に、シモンの人生を変える何かが起きたのではないだろうか。シモンはイエスを信じる者となったし、一家をあげて教会に加わったのだ。イエスは自分の背負うべき十字架を背負ってくれたシモンに、一言、「有難う!」と言われたのではないか。その一言の故にシモンは、自分が単なる物でもなく、道具でもなく、この愛の人イエスにとってかけがえのない存在になっていることを感じたのではないか。即ち、人間としての誇りと喜びを生まれて初めて知ったのではないかと、思うのです。でもすべては想像です。しかし、貧乏くじの極みとしか言いようのない出来事の中に、神の救いの御計画、神の時が重ねられたのだと私は思うのです」と。
何と素晴らしい話でしょうか。このように、私たちがイエス様の人格・愛に触れる時、私たちの人生が180度変えられることを、このキレネ人シモンとその家族は
今も私たちに伝えているのであります。驚くべきことです!また感動を禁じ得ないことであります。