校長説教集56〜あなたがたは地の塩である〜

2021年5月6日(木)

朝 の 説 教

- あなたがたは地の塩である ―          『マタイ』5章13節

今朝は、13節のイエス様のお言葉、「あなたがたは地の塩である」についてお話しします。塩は摂りすぎると高血圧になるため、何か悪者のように言われがちですが、人間にとってなくてはならない貴重なものです。夏の甲子園の応援は炎天下で、汗をかきます。だからスポーツ飲料や塩飴などで塩分を補給しないと、身体の弱アルカリ性が崩れ、大変なことになります。古代のローマでは塩が給料として支払われていたそうで、給料を意味する英語のsalaryは、「塩salt を買うためのお金」を意味するラテン語から来ています。また日本には古くから「敵に塩を送る」という言葉があります。海なしの甲斐(山梨県)の武田信玄は、仲の良かった駿河の今川から塩を送って貰っていましたが、仲が悪くなって塩止めを受け、とても困りました。それを見かねた上杉謙信が、敵である武田信玄に日本海の海水で作った塩を送ったことが語源だと聞きました。

このように、塩は無くてはならない貴重なものです。では、イエス様は弟子や私たちに何を伝えたくて、「あなたがたは地の塩である」と言ったのでしょうか?聖書に答は書いてありませんので、以下は私の想像です。

1 第一に、塩は真っ白です。家庭用に買って来た少量の塩ではあまり真っ白とは感じませんが、私はアメリカのユタ州にある「ソルトレイクシティー」に行った時、塩が露出している広大な場所に出会いました。広大な真っ白い畑のようでした。イエス様は第一に、「私に繋がっていなさい。私の愛の内にいなさい。そして塩のように純白で清らかな人間でありなさい」と教えているのだと思います。

2 第二に、塩は昔から防腐剤として使われてきました。特に冷蔵庫が無い時代、肉や魚は塩漬けにされて保存されました。ガリラヤ湖の漁師だったペテロたちも、とれた魚は塩漬けにして保存しました。イエス様は、私たち人間がイエス様に繋がっていることによって、罪や誘惑で汚されることなく、塩のように腐らない心と体を保つことができると言っておられるのではないでしょうか。

3 第三に、塩は料理を美味しくし、食べる私たちを幸せにしてくれます。大福や柏餅・羊羹・・・北海道の十勝でとれた小豆を使い、砂糖を入れて作ります。でも砂糖だけであの味が出るのではありません。少量の塩を入れることで甘みが際立つのです。カレーやラーメン・・・どんな料理にも塩が使われ、より美味しくなり、食べる私たちを幸せにしてくれるのです。

4 第四、最後に、塩はごく少量使われ、目立たず、使われていることが忘れられるような存在です。私は甘いものが大好きで、特にドーナツが大好きです。ドーナツには砂糖が見えるような形で回りに付いていますよね。それが美味しいのです。でも同じことを塩でしたら、とんでもない。とても食べられたものではありません。目立たず、出しゃばらず、自分の存在を隠して人の役に立つ、塩はそんな存在です。イエス様は、あなたたちも私に繋がっていながら、そっと、隠れて、人の役に立つ人間になることを求めているのです。

イエス様は、「あなたがたは地の塩である」と現在形で言われたのであって、「地の塩になりなさい」と言ったのではありません。私たちはともすると「私など地の塩などと呼ばれる者ではありません。汚れに染まっていますし、目立ちたがり屋ですし、人の役に立つような者ではありませんよ」と後ずさりしそうです。でもイエス様は、「私に繋がっていれば、あなたはもう既に地の塩になっているんだよ」と言って下さっているのであります。

何と嬉しい、有難いお言葉でしょうか!