新井秀校長説教集96~平和ではなく剣を~

        2023年6月29日(木)

朝 の 説 教

- 平和ではなく剣を -  『マタイ』10:34~39

今日の聖書記事は昨日の聖書以上に厳しい内容です。2,000年前、これから伝道にでかける12人の弟子へのイエス様からの激励の言葉の一つです。しかし2,000年後の今に生きる私たちには、衝撃的で納得し難い主イエスの言葉です。山上の説教で「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と言っておきながら、何故「平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」などと真逆のことをイエス様は言うのか?理解できないことでしょう。私個人は、今日のイエス様の言葉の冒頭に「初めの内は」とか「最初は」と入れれば、今日の私たちにも理解できる内容だと思っています。三人の人の例からそのことを伝えます。

第一はペテロです。既に学んだ『マタイ』4章にペテロがイエス様の弟子になった様子が書かれていました。「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った」とありました。しかもペテロとアンデレの兄弟二人ともです!彼らは突然仕事を放棄し、家族を捨てて家出してしまったのです。残された家族はどんな思いだったでしょうか?「イエスというやつはなんて酷いことをするんだ!家族を引き裂くのか!」と思ったことでしょう。でも聖書を読み進めて行くと、カファルナウムにあったペテロの家は後にイエス様の定宿になっていたこと、ペテロやアンデレもイエス様と一緒に頻繁に実家に戻ってきたこと、イエス様が高熱で苦しんでいたペテロの妻の母の病を癒すと、彼女は起き上がってイエス様をもてなしたことが書かれています。更に聖書はペテロだけでなくその妻もイエス様を信じる者に変えられ、二人で力を合わせてイエス様のことを伝えたと書いています。このように、イエス様の命令に従うことは、初めは家庭内に分裂や不安を引き起こすのです。でもやがては、皆がイエス様を信じる者に変えられ、一致と協力、希望と喜びに満たされた家庭に変えられるのです。

第二の例は、以前話した「ライ患者の友」と今も慕われる林文雄医師のことです。画家であり高校教師であり熱心なクリスチャンであった林竹治郎先生の息子です。成績優秀な文雄は北海道大学医学部に入りました。大学でも成績優秀で、教授から大学に残り研究者としての道を歩むよう勧められます。でも林医師は、イエス・キリストが生きられたように自分も生きたいと思い、大学教授への誘いを断り、誰もが嫌がるライ病院で働くことにしました。最初はクリスチャンである両親も反対しましたが、文雄の純粋なイエス様のように生きたいという思いを感じ、賛成しました。しかし結婚を約束した美しい許嫁の女性からは同意が得られず、別れを伝えて東京多摩のライ病院へ赴任しました。林先生の場合も、最初は家族や許嫁との間に亀裂や不安を生じました。でもやがて両親は賛成してくれ、同じ病院で働く冨美子医師と結婚、子宝にも恵まれ二人してライ患者の友として愛情一杯の人生を送られたのです。

三番目はイエス様ご自身のことです。ベツレヘムに生まれナザレで育ったイエス様は、30歳まで一家の長男として大工として働きました。しかし30歳になると神の子としての〈公生涯〉を歩むため、家を出ました。家族はどう思ったでしょう?既に父親のヨセフは死んでいたようです。一家の大黒柱である長男のイエスの家出に全員が当惑し、反対し、それでも同意しないイエスを憎んだことでしょう。しかも当時の指導者であるファリサイ派や律法学者から呼び出しがあり「お前たちの長男イエスは気が狂っている。早く捕まえに来い。そして息子を家に連れ帰れ!」と言われます。母マリアと弟たち・妹たちはどんな思いだったことでしょう。「だから言ったじゃないか。家出などせず、ナザレの村で大工として真面目に働き続けてくれれば良いのだ!」と思ったことでしょう。でもその後、この家族はどうなったでしょう?お母さんのマリアも、イエス様の弟たち妹たちも全員クリスチャンに変えられたのです。母マリアは息子イエスの死後、残された弟子たちの中に混じって熱心にイエス様を伝える女性に変えられました。すぐ下の弟ヤコブは教会の指導者として活躍するようになり、新約聖書に所収されている『ヤコブの手紙』を書き残しました。イエス様が神様の命令に従って30歳で家出をしたとき、確かに家族内に分裂が生じ、不安が生じ、イエスが狂ったのだとの情報に苦しめられました。でもイエス様の十字架と復活の後、家族全員がイエス様を救い主と信じる者に変えられ、熱心な伝道者・牧師へと変えられたことを聖書は記しているのです。何と素晴らしいことでしょうか!

イエス様に従うこと、キリスト教の信仰に入ること、それは異教社会である日本では、最初は驚きや不安や分裂を引き起こすかもしれません。しかし、今日見てきた3人の例のように、最後には予想も出来なかったような喜びと希望と一致に変えられることを知るのです。恐れず主イエスに従う者でありたいと改めて強く思う者であります。