甲子園日記特別編「2020 夏」あの夏を取り戻せプロジェクト

「あの夏を取り戻せ」プロジェクト。中止となったあの夏の世代が今日、甲子園の土を踏みました。

ひとりの大学生が声を挙げて始まったこのプロジェクト。大変なご苦労があったはずですが、まずはこのプロジェクトの実行のために尽力された方々に、心からの御礼を申し上げたいと思います。

2020年5月20日。衝撃のニュースが高校野球の世界に流れます。「夏の甲子園中止決定」。新型コロナウイルス感染症が猛威をふるい、既に開催予定だった春のセンバツは中止。部活どころか学校は休校となり、外出すらままならない日々。それでも夏までには収束するだろ、夏はいつも通り行われる、そういう期待も虚しく、中止が告げられたのです。

それ以来、自分の中の野球の位置づけ、高校野球のゴールとは?この夏何のために戦うのか?様々な視点から、角度からミーティングを重ねて、「甲子園のない特別な夏をいかにいつも通りの夏」にするか。

とはいっても、このチームの秋は初戦敗退、春も中止で夏の代替大会初戦が公式戦2試合目。不安と共に夏を迎えました。しかも初戦は日大東北。この難しい試合を1対0で乗り切ると、いわき光洋、白河、磐城と強豪を次々と撃破、準決勝も福島成蹊を11-1でコールドで降し、決勝戦でも光南を6-0の完封劇で優勝を飾ったのです。

優勝の瞬間、マウンド上に選手は駆け寄り「No.1ポーズ」。優勝チームのいつもの夏の光景。校歌を歌う内山連希主将は顔をクシャクシャにして大粒の涙を流しました。甲子園が中止でもやりきった歓喜の涙か、と思いきや「勝っても、優勝しても甲子園に行けないという悔しい気持ちが込み上げてきた」と内山主将は後に語りました。

この後、東北大会でも優勝した内山世代。甲子園がなくてもやりきった伝説世代。しかし、甲子園の土を踏むことがなかった現実は変わりません。

そして今回、「あの夏を取り戻せプロジェクト」が開催されました。11月29日、あの夏の代替大会の優勝校など45の都道府県から集まった元高校球児が甲子園の土を踏んだのです。割り当てられた約5分のシートノック。そして午後から行われた入場行進とセレモニー。夏の大会と同じファンファーレと行進曲。

その瞬間、当時のことが走馬灯のように脳裏を駆け巡り、思わず涙・・・感動の瞬間でした。

翌日には姫路のウインク球場で鹿児島の神村学園と交流試合。嬉しかったのは彼らが聖光のユニフォームを着て、当時の熱量そのままに「聖光野球」をやり切ってくれたこと。当時練習していた走塁の戦術も見事に決まるなど5対3で勝利し、とうとう「無敗」で3年越しの「夏」を締めくくりました。

「あの夏を取り戻せ」プロジェクト。大きな障壁を乗り越えて、開催してくれて本当に感謝の気持ちでいっぱいです。彼らとの甲子園での再会、我々も本当に嬉しかったです。

最後に、このプロジェクトの発起人の大武優斗さんが挨拶でこう言っていました。「支えられる側から支える側へ」。あの夏を経験したからこそ、伝えられること。そんなことが必ずあるはずです。2020世代のこれからの活躍を願ってやみません!