新井秀校長説教集15~哀しみのどん底から~

- 哀しみのどん底から -
『詩編』88編

今日の詩は出口が無いような、深い悲しみに満ちた詩です。イギリスの神学者カークパトリックは、「詩編150編の中でも、最も悲哀に満ちた詩である」と言っています。例えば、4節の「わたしの魂は苦難を味わい尽くし」や、5節・6節の「力を失った者とされ、汚れた者と見なされ」や、9節の「あなたはわたしから親しい者を遠ざけられました」などです。悲しみ苦しみの原因は何なのでしょうか?分かりませんが、「汚れた者とみなされ」や「わたしから親しい者を遠ざけられました」などから、この詩の作者は重い皮膚病に犯され、家族から捨てられ、友達からも捨てられ、哀しみのどん底にあるのだと想像することもできます。かすかな救いは14節の決意です。これは冒頭に「しかし」を入れるべきだと思います。「しかし主よ、わたしはあなたに叫びます。朝ごとに祈りは御前に向います」と書いています。たとえ苦しみ哀しみから逃れなくても、わたしは「祈り続けます」「希望を持ち続けます」との決意を述べているからです。

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新井秀校長説教集14~もし罪を犯させるなら~

- もし罪を犯させるなら - 『マルコ』9章42節~50節 今日の聖書には、罪に対するイエス様の大変厳しい言葉が繰り返されています。「つまずかせる」という言葉が4回出て来ます。「つまずく」とは「歩く時に、足先に物が当たってよろけること」で、転じて、「仕事につまずく」などのように、「障害があって中途で失敗する」ことを意味します。私ならつまずくとは訳さず、もっと原語に忠実に「罪を犯させるなら」と訳します。この訳を用いれば、「もし片方の手や、片方の足や、片方の目があなたに罪を犯させるなら、それらを切り捨ててしま... 続きを読む

新井秀校長説教集13 6月20日(木)

今日の聖書は、ファリサイ派の人々がイエス様に、「お前が本当にキリストだと言うなら、天からのしるしを見せろ、確実な証拠を見せろ」、と要求したところです。「しるし」は英語の聖書ではサインです。野球部の諸君は、ゲーム中監督の出すサインを見て、その指示に従ってバントしたりヒッティングしたりすると思います。うっかりサインを見落としたり気づかなかったりすれば、勝敗にかかわる一大事です。それ位サインは大切なものです。今日の聖書では「証拠」という意味で用いられています。

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新井秀校長説教集12 6月19日(水)

1 背景 イエス様の後にはいつも群衆が従っていました。今日の聖書では、その数何と4千人もの大群衆でした。しかも群衆は、①もう3日もイエス様と一緒にいるのに何も食べる物がなく、②空腹で、③かなり遠くから来ている人もおり、④このまま帰らせれば、途中で疲れ切ってしまう危険がありました。そうした群衆を見てイエス様は「かわいそうだ」(2節)と思いました。「かわいそうに思った」と言うより、「憐れでならない」とか「気の毒でならない」と訳したい言葉です。それに対する弟子たちの答えは、「こんな人里離れた所で、いったいどこか... 続きを読む

校長説教集 1〜11

校長説教集を過去ブログより転載いたします。 以下よりご覧ください。 校長説教集① 「あなたたち偽善者は不幸だ」 校長説教集②「ユダヤの民全体の悔い改めと祈り」 校長説教集③「イエス様を裏切る弟子たち」 校長説教集④ 「侮辱に耐えるイエス様」 校長説教集⑤ 「祝福を約束してくださる主」 校長説教集⑥ 復活なさったイエス様 校長説教集⑦ 「バブコックの信仰と生涯」 校長説教集⑧ 湖の岸辺の群衆 校長説教集⑨ 種を蒔く人のたとえ 校長説教集⑩ 「五千人に食べ物を与える」 校長説教集⑪ 「湖の上を歩く」 &nbs... 続きを読む