2020年11月26日(木)
朝 の 説 教
- エチオピアの高官への伝道 -
『使徒』8章26節~40節
1 はじめに・・・今フィリポはサマリア地方にいます。福音伝道はうまく進んでいました。聖書に「フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた」(12節)とある通りです。でもそんな成功の中、神は「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と命じました。 続きを読む →
2020年11月26日(木)
朝 の 説 教
- エチオピアの高官への伝道 -
『使徒』8章26節~40節
1 はじめに・・・今フィリポはサマリア地方にいます。福音伝道はうまく進んでいました。聖書に「フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた」(12節)とある通りです。でもそんな成功の中、神は「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と命じました。 続きを読む →
2020年11月16日(月)
朝 の 説 教
- ステファノの逮捕 -
『使徒』6章8節~15節
1 あらすじ・・・前回からステファノのことを学んでいます。エルサレム教会では、人数が増えるに従って雑用も増え、イエス様の弟子たちが伝道に専念できなくなってきました。そこで、エルサレム教会に集まる人々の食事の世話をする人が特別に7人選ばれました。その一人がステファノでした。 続きを読む →
2020年11月12日(木)
朝 の 説 教
- 使徒たちへの迫害 -
『使徒』5章33節~42節
1 あらすじ・・・今日の話は、イエス様が復活なさり、弟子たちに聖霊が豊かに下った後のエルサレムの議会での出来事です。妬みに燃えて弟子たちを牢屋に閉じ込めた筈なのに、天使の助けで牢から脱出し、エルサレムの街中で堂々とイエス様の復活と愛を語っている弟子たちを、再度捕らえ、今度は殺してしまおうという場面です。自分たちの地位や権威が脅かされると知ると、人間は平気で殺人まで犯すのだと考えさせられてしまいます。
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2020年10月12日(月)
朝 の 礼 拝
- 墓に葬られるイエス様 -
『マルコ』15:42~47
1 はじめに
イエス様は金曜日の午後3時に息を引き取りました。午後の6時になれば安息日の始まりです。一切の行動が禁止です。あと3時間しかありません。ユダヤ人が絶対服従の旧約聖書の中の『申命記』22章23節には、「死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである」と書かれています。 続きを読む →
2020年10月8日(木)
朝 の 礼 拝
- キレネ人シモン、イエス様に出会う-
『マルコ』15:21~25
1 背景
いよいよイエス様が十字架に付けられる場面です。今日の聖書は、約2,000年前のエルサレムでの、金曜日の朝9時前の出来事です。弱虫のローマ総督ピラトは、群衆の暴動を恐れ、ローマ皇帝に自分の悪い噂が伝わることを恐れ、イエス様には何の罪もないと知りながら、十字架刑を許可しました。明日は土曜日、安息日、何もしてはならない日です。今日中に十字架に架けてしまわねばなりません。イエス様に重い十字架を担がせて、処刑場であるゴルゴタの丘まで進みました。この道はラテン語で「ヴィア・ドロローサ」(苦難の道)とか、「ヴィア・クルキス」(十字架への道)と呼ばれています。1キロ近い長さです。 続きを読む →
2020年10月1日(木)
朝 の 説 教
- 最高法院で裁判を受けるイエス様 -
『マルコ』14章53節~65節
今日は、イエス様が捕らえられ、弟子たち全員に逃げられてしまい、一人、夜中の裁判の場に引き出されたところです。イエス様の裁判をおこなった最高法院は、ユダヤの国会です。 続きを読む →
2020年9月17日(木)
朝 の 説 教
- ナルドの香油 -
『マルコ』14章3節~9節
1 あらずじ・・・最初に、少し解説を加えながら今日の話を辿ってみます。イエス様と弟子たちはエルサレムに近いベタニア村にいました。一同が食事をしようとすると、一人の女性が、イエス様に純粋で大変高価なナルドの香油を注ぎかけました。 続きを読む →
2020年9月10日(木)
朝 の 説 教
-大きな苦難を予告する-
『マルコ』13章14 節~23 節
『マルコ』13章は、良く「小黙示録」と呼ばれ、分かりにくい箇所です。キリスト教が当時のローマ権力やユダヤの指導者たちから非難され、迷惑がられていたために、わざと分かりにくい象徴的な表現をしたからです。でも13章全体でイエス様が伝えたかったことははっきりしています。それは、 続きを読む →
2020年9月4日(金)
朝 の 説 教
-律法学者に気をつけなさい-
『マルコ』12章38節~40 節
イエス様は「律法学者に気をつけなさい」と言っています。何故でしょうか?
イエス様の時代、今から約2,000年前のイスラエルでは、律法(法律)が事細かに決められていて、人々の生活の隅々まで支配していました。一例を挙げるなら「安息日規定」です。安息日に歩いて良いのは約1,100mまでで、それを破ると厳しく罰せられました。「~してはならない」という禁止の律法が365、「~しなさい」という律法が248、計613もありました。こうした律法を知り、忠実に守れば良い人間、神様に祝福される人間になり、逆に守っていなければ悪い人間、神様から呪われる人間と見なされました。だから律法の専門家である律法学者たちは、人々から尊敬され、学識もあり、豊かな生活を享受していました。でもイエス様の目は誤魔化せません。イエス様は彼らの心を見抜いていました。表と裏の全く違う偽善者としての実態です。 続きを読む →
2学期 始業礼拝 - 友のために命を捨てる愛 - 『Ⅰヨハネ』3章16 節~18 節 8月6日からの例年より短い夏休みでしたが、きっと元気に有意義に過ごしたことと思います。残暑が厳しいですが、コスモスが咲いたり日暮れが早くなったりして、秋の到来を感じる頃となりました。これからの2学期、一人一人自分の目標達成のために精一杯努力してください。努力の向こうには必ず喜びや感動が君たちを待っています。水泳の池江選手の久しぶりの泳ぎと涙を見て、私は改めてそのことを教えられました。 今日は16節のヨハネの言葉「イエスは... 続きを読む