朝 の 説 教
〈イエスの母・兄弟〉
『マルコ』3:31~35
1 はじめに・・・31節に「イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた」とあります。何のためでしょうか? 続きを読む →
朝 の 説 教
〈イエスの母・兄弟〉
『マルコ』3:31~35
1 はじめに・・・31節に「イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた」とあります。何のためでしょうか? 続きを読む →
2020年5月21日(木)
〈安息日に麦の穂を摘む〉『マルコ』2:23~28
1 はじめに・・・今日も放送による礼拝です。今日の聖書のお話は今から約2,000年前、カファルナウムという町で安息日(土曜日)に起こったことです。イエス様の弟子たちは余程お腹が空いたのでしょう。黄金色に色づいた他人の麦畑に入り、麦の穂を摘み、手で揉んで食べました。それを見ていたファリサイ派の人々がイエス様に対して「あなたの弟子たちはとんでもないことをしている」と注意したところです。ユダヤは寛大な国で、旧約聖書の『申命記』23:26に「隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよいが、その麦畑で鎌を使ってはならない」とあり、また23:25には「隣人のぶどう畑に入るときは、思う存分食べても良いが、籠に入れてはならない」と規定されています。 続きを読む →
2020年5月8日(金)
朝 の 説 教
〈重い皮膚病を患っている人を癒す〉『マルコ』1:40~45
今日も放送による礼拝です。久しぶりに登校して友達や先生に再会でき、嬉しいことでしょうね。ゴールデンウイークを挟んで、自由に外出も出来ず制限付の辛い毎日だったことでしょう。私が特に心を痛めたのはインターハイの中止です。多くの3年生運動部員や顧問が突然目標を奪われ、終了を宣告されたのです。どんなに辛く怒りに満ちた思いかと想像します。何故自分たちの学年だけ「貧乏くじを引く」ことになったのかと思ったことでしょう。
2020年4月16日(木)
朝 の 説 教
- 多くの病人を癒す -
『マルコによる福音書』1:29~34
今日の聖書から私は、イエス様というお方は何て愛の深い、優しいお方なんだろうと、3つのことをお話したいと思います。 続きを読む →
2020年4月8日(水)1学期始業礼拝
- 行いをもって誠実に愛し合おう -
『ヨハネの手紙 一』3:18
1 始業にあたって
新2年・新3年の生徒諸君、お早うございます!君たちの顔が見えないのは
残念ですが、放送を通して語り掛けることが出来る幸いを感じています。感染
拡大のために3月2日から自宅学習となり、そのまま春休みに入りましたので、1か月以上の長い休みになりました。久しぶりに友達に会えて嬉しいことでしょう。感染拡大は収まる気配がなく、日本でも「非常事態宣言」が出される程です。これからも自分に出来ることを確実におこなって、自分の身を守り、加害者になることも防ぎましょう。明日入学式があり、明後日から通常の授業に入ります。久しぶりの授業再開ですが緊張と期待をもって迎えましょう。
2020年2月21日
- クリスチャンへの弾圧と拷問 -
『ヨハネ黙示録』1:9
1 はじめに
1章9節後半の「わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモス島と呼ばれる島にいた」に集中してお話します。
ローマ帝国は、皇帝崇拝に従わないクリスチャンたちを憎み、何度も弾圧しました。紀元64年に皇帝ネロによるクリスチャン迫害がありました。クリスチャンたちを捕らえては空腹の野獣の餌食にしたと伝えられている恐ろしい迫害でした。この時、弟子のペテロや使徒パウロが殺されました。更に95年には、皇帝ドミティアヌスによる大迫害がありました。ネロの迫害はローマ市内だけのものでしたが、ドミティアヌスの迫害は小アジアにまで及び、皇帝崇拝を拒否するクリスチャンは容赦なく殺されました。この迫害の中で、ヨハネはエペソの沖合に浮かぶパトモス島という孤島に流刑されました。孤島での孤独と苦痛の中で、愛なる神様から示された幻を書き留めたのがこの書です。
2020年2月14日(金)
朝 の 説 教
- 使徒ヨハネの人生 -
『ヨハネの手紙三』13~15
1 はじめに
今日は手紙の最後の部分です。ヨハネの思いが短い言葉に凝縮されています。手紙ではなく近い内に直接訪問したいこと、受取人のガイオや教会の仲間に平和(平安)があること、主にあって仲良く暮らすように、と書いています。ヨハネは、イエス様の弟子になったばかりはとても怒りっぽく、「雷の子」と呼ばれていましたが、今や「愛の使徒」と呼ばれる程に成長し、変えられています。イスカリオテのユダを除く11人の弟子たちは、皆、苦難と忍耐の生活を送りました。ヨハネもそうでした。しかし、パウロが「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を産むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません」(『ローマ』5:3-5)というように、苦難を忍耐し、最後には希望に満ち満ちた生涯を送りました。日本でも昔から「艱難汝を玉にす」と言います。人生の苦難は出来たら避けたいものですが、愛なる神様は、私たちを訓練するために苦難をお与えになるお方であります。
- 教会というところ-
『ヨハネの手紙三』9~12
1 はじめに
この手紙の著者は学問的には異論もあるようですが、私はイエス様の12弟子の一人のヨハネだと思っていますし、そういう前提で話をします。イエス様の12弟子の内、イスカリオテのユダはイエス様をお金で売ったことを後悔して自殺しました。他の10人は皆殉教しました。イエス様の福音を伝えたために捕らえられて殺されたのです。しかしヨハネだけは、十字架上のイエス様からの依頼通り、「それから弟子(ヨハネ)に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母を日分の家に引き取った」(『ヨハネによる福音書』19:27)弟子でした。唯一長く生きた直弟子でした。
イエス様が亡くなってから暫くの時が経ち、クリスチャンが生まれ、教会が生まれました。それらの教会をヨハネは巡回して指導していたのでしょう。それらの教会の一つにディオトレフェスがいました。その教会の牧師であったのでしょう。彼は巡回指導者のヨハネに強い反感を持っていました。ヨハネから見ると彼には多くの欠点がありました。それは、①指導者になりたがっていること、②ヨハネたちを全く受け入れないこと、③悪意に満ちた言葉でヨハネたちをそしること(別な訳では「根も葉もない悪口を言いふらしている」)、④気に入らない者を教会から追い出している、ことです。ヨハネは10節で「そちらに行ったとき、彼のしていることを指摘しようと思います」と断固たる決意を語っています。
2019年10月24日(木)
キレネ人シモン、イエス様に出会う 『マルコ』15:21~25
1 背景
いよいよイエス様が十字架に付けられる場面です。今日の聖書は、約2,000年前のエルサレムでの、金曜日の朝9時前の出来事です。弱虫のローマ総督ピラトは、群衆の暴動を恐れ、ローマ皇帝に自分の悪い噂が伝わることを恐れ、イエス様には何の罪もないと知りながら、十字架刑を許可しました。明日は土曜日、安息日、何もしてはならない日です。今日中に十字架に架けてしまわねばなりません。イエス様に重い十字架を担がせて、処刑場であるゴルゴタの丘まで進みました。この道はラテン語で「ヴィア・ドロローサ」(苦難の道)とか、「ヴィア・クルキス」(十字架への道)と呼ばれています。1キロ近い長さです。
イエス様は夜通し裁判に引き回されて一睡もしておらず、こぶしで殴られ、葦の棒で叩かれたり、鞭で打たれたりして、体は血だらけにされ、疲労困憊していました。イエス様にとって、重い十字架を最後まで担ぐことは無理でした。伝説では3回躓き転んだと言われています。見かねたローマの兵隊が、たまたまそこを通りかかったキレネ人シモンに命じて、十字架を担がせたのでした。
2019年10月9日(水)
あなたこそわたしの神、依り頼む方-
『詩編』91:1~11
1 はじめに
この詩91はいつ頃、誰によって書かれたのか分かりません。おそらく今から3,000年近く前、神様を深く信じている人が書いたものでしょう。全部で150ある詩の中で、「信頼の歌」に分類される詩です。この詩は、神様を信頼し賛美する言葉で満ちています。神様に対する苛立ちとか、自分の不幸や不自由を、神様に責任転嫁するような言葉は皆無です。
この詩が言いたいことつまり結論は、「全能者である神様・イエス様に頼りなさい。神様はたとえどんなことがあっても、神を信頼する者には最善を為してくださるお方です。弱い私たちは、神様・イエス様のみ翼の下を安息の場所、隠れ家(シェルター)とさせていただきましょう」ということです。
「神様に頼るなんて弱い人間のすることだ」と言う人がいます。大きな間違いです。いくら強がりを言っても人間は所詮弱く、罪深い者です。聖書を良く読んで、『走れメロス』のような妹への愛と、友への友情と、誤った王に断固抵抗する正義感に満ちた、全く聖書の精神そのもののような小説を書いた太宰治でさえ、最後は愛人と入水自殺してしまいました。正しいもの、清いものを求めても、そう生きられないのが人間です。素朴に、単純に愛なる神様・イエス様を信じ、守っていただくことが、喜びと希望の人生へと我々を導いてくれるのだとこの詩の作者は言っています。